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2019.12.14(土)

「良き観客」を隠れ蓑にしないこと

 

「ゴー宣道場」をただ穏やかに議論するだけの場にして、そこで知り合った人たちと仲良くおしゃべりする会にする、それだけが「良き観客」というものだろうか?

わしは薬害エイズ運動の教訓から、教科書運動でも、既存の政治勢力やイデオロギーに取り込まれた市民運動を避ける意味で「良き観客」という言葉を使った。

だが、その言葉を隠れ蓑にして、「議論だけして分かった気になって、一切の行動を拒否し、仲間を作って宴会やレクレーションに興じる会」になってしまっていいのだろうか?
それはニヒリズム追認の会ではないだろうか?

「仲間意識」だけで参加している人がいて、「ゴー宣道場」で知り合った人とは、破門になったあとでもお友だちとして付き合っている人がいる。
そんなに気が合う人なら付き合えばいいと思うが、内部情報がダダ洩れになると、メーリス管理人の時浦の責任問題になる。もちろんわしの責任でもあるが。

破門という手もそう簡単には使えないし、情報公開も人の名誉を傷つけたくないからできないし、組織運営は難しいものだ。

「友達作り」「仲間作り」が最大目的なら、「ゴー宣道場」ではなくて、別の場所やネットの中で気の合う人と知りあえばいいのではないか?

「ゴー宣道場」は
①皇統の安定的継承
②「侵略できない・侵略に加担できない」脱属国の憲法改正
③女性の地位向上

を掲げているが、わしは④共同体の再生を付け加えたいとも思っている。
だが、なかなか実現は厳しい。

何ひとつ実現できないかもしれない。

これからは脱ニヒリズムの「ゴー宣道場」にしていく道もある。
多くの門下生たちがそれをやってみたいと思うようになってきた。
政治的影響力を持つ「ゴー宣道場」になることは全然悪いことではない。
美意識に反することはどうせわしが出来ないのだから。

「良き観客」が「ニヒリズムの隠れ蓑」にならず、政治的効果を発揮する方法論を考える「ゴー宣道場」に変身していくために、「個」の連帯を計る門下生たちは「活動的な良き観客」だろう。

もちろん現場が一番は今後も変わらない。
忙しすぎてただ観客でい続けることしかできないという人たちも、当然「良き観客」だろう。
もう少し言えば、ニコニコチャンネルの「ゴー宣道場」の会員になって、500円払ってくれる人は「ありがたき観客」である。
運営費がなければ何もできないのだから。