ボーカル・マジョリティー=「戦うゴー宣道場」
昨日は『おぼっちゃまくん』のコンテを上げて、さらに『よしりん辻説法』のわしのペン入れも終わらせた。
大変、生産性の高い一日だった。
『おぼっちゃまくん』には関西の読者が考えてくれた茶魔語も出すことができた。
今日は『ゴー宣』第69章のシナリオをやる。
今年の総括みたいなものを描いてみる。
高森氏が「戦うゴー宣道場」の理念を知的な言葉で解釈してくれている。
「圧倒的多数の国民が“沈黙”を続けるから、少数派の“声”だけが拡大的に喧伝される結果になる」
「サイレント・マジョリティーは自覚的・積極的に声を挙げるボーカル・マジョリティーに変身しなければなら
ない」
「『ゴー宣道場』がその触媒であるべきだろう」
まさにこれである!
圧倒的多数が沈黙するからニヒリズムを超えられないのである。
香港の民主化運動の結果、今回の区議選では圧倒的に民主派議員が勝利して、それまで親中派議員が多かった議席を逆転させてしまった。
香港市民に学ぶことは多い。
「ゴー宣道場」も変わらなければならない。
ボーカル・マジョリティーは恐いからイヤだと言う者は、「お楽しみ派」として今まで通り「良き観客」に徹していればいい。
だが、全国推進隊長や彼女を支える門下生たちはもう質が変わった。
「良き観客」が必ずしも「沈黙する観客」ではないと思ったから、門下生の中に「主体性」を育てようとしている。
今週末、新しい関東設営隊長に会うことになっている。
もう門弟という言葉は消えた。古参も新参もない。
主体性の強い者が先頭を走ればいい。遠慮はいらない。
関東設営隊長と「関東ゴー宣道場」を「ボーカル・マジョリティー」に変身させる方法論について、話しあってみよう。
そして来年1月に「全国設営隊長、決起集会」をやる。
皇統も憲法も行き詰まっていて、日本の未来にとって最悪の結果になるかもしれない。
「ゴー宣道場」に何ができるかを話しあおう。