時処位の道を弁えて描く韓国論
あらゆる事象に「矛盾」が潜んでいる。
男尊女卑にも矛盾が潜んでいるし、天皇制と民主主義の接合にも矛盾が潜んでいる。
民主主義にも矛盾が潜んでいるし、人権という概念にも矛盾が潜み、日本国憲法は矛盾だらけである。
表現の自由にも矛盾が潜むし、日韓併合の評価にも矛盾が潜んでいる。
「関西ゴー宣道場」のHPの「タッチ&ゴー宣」で、『ゴー宣』第63章「韓国併合前の朝鮮の状況」の感想を読んだ。
イザベラ・バードという一次史料に基づいて描いただけという把握は絶対必要である。
カレーせんべいの言った「朝鮮は近代化していなかったから、日韓併合をして良かったんだ、という世の中の意見には、私はどうしても抵抗感を覚えるんです」という告白は重要である。
実はわしもそうで、悪を引き受けられない自分の青臭い善良さが邪魔をするからである。
西郷隆盛の道があったと今でもわしは思っている。
そこを探るために今まで『大東亜論』を描いてきたのだから。
わしが今、「韓国論」を描き始めたのは、当然、慰安婦合意を破綻させ、徴用工問題で日韓基本条約まで崩壊させようとする韓国の「反日」イデオロギーにとどめを刺す時期が到来したと思ったからだ。
それは単なる「嫌韓」ではない。
なぜなら、「日韓関係を良くするために、国際法の発展を基礎とする常識を育てる」という意図がある。
今は北朝鮮にコンプレックスを持ち、北朝鮮に吸収されかねない韓国を救うためという動機で描いている。
ものごとには「時処位」というものがある。
熊沢蕃山が「時処位」をこう語る。
『時間と場所と立場に応じた状況の差があるから、状況に応じて対応を変えるのを見て、同じだとか、異なるだとか言い募るのは、「時処位」の道を知らないからである。』
例え「嫌韓」と勘違いされようとも、今という絶好のタイミングが来たからには、「時処位」の道に従って、韓国併合に対する「事実」と「道義」の矛盾をあえて投げ出して、そこからアウフヘーベンするしか、日韓関係を真に修復する道は見えてこない。