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2019.10.18(金)

人間の劣化に抗する戦いは疲れる

 

他人の車に突進してきてフロントガラスを叩き割る男の映像を見てゾッとした。
昔はこういう奴を「キチガイ」と言っていたが、今は「ポリコレ」で使用禁止の言葉になっている。
的確な表現を消滅させてはいけないのではないか?

複数の教師が一人の教師に激辛カレーを食わせて、いじめを楽しむ様子も常識を完全に逸脱している。
大人のイジメはもっと陰湿で巧妙にやるのかと思っていたが、その手法が子供と全く同じに幼稚で直接的だから、呆気にとられてしまう。
いじめられてる男もまるで子供みたいで奇妙すぎる。
人がどんどん狂っているように感じる。

日本では犯罪数は統計的には減っていると言うが、本当に数の問題なのだろうか?
なあに、犯罪は減ってるんだからと、放っておいていい話なのだろうか?

あいちの「表現の不自由展」で慰安婦少女像を展示することに、どんな意義があるのかさっぱり分からないし、津田大介や展示にこだわる者たちは、ぜひわしに説明して欲しい。

かと言って、権力の側が一度出すと決めていた「公金」を出さないと決めてしまうのも、「公金」の使用は権力に認定された作品に限ると言っているようで、危ないと思う。
「公」と「権力(政府)」はズレることが多いからだ。

一方で産経新聞が「表現の不自由展」の展示物が、天皇や日本人への「ヘイト表現」だと決めつけているのも理解できない。
「ヘイト」という言葉の意味が曖昧に拡大していくと、戦時中の軍部を批判する行為も「ヘイト」、「売国奴」と認定する危険性に繋がってしまう。
斎藤隆夫の粛軍演説は、軍部への「ヘイト」として許されないという戦前にもどってしまう。

竹田ナニガシが昭和天皇は自分の親戚だから、肖像画を焼かれる映像で「傷ついた」と言っているのに、ゾッとした。
「傷ついた」という訴えは左翼の常套句だが、わしが嫌悪感を覚える言葉だ。

柳美里が、週刊ポストの特集は韓国にルーツを持つ在日全員が「傷ついた」と、血の論理を持ち出しているのと、よく似ている。
竹田ナニガシも、柳美里も、血の論理を妄信している点では同じになる。
わしは血の論理も嫌いだし、「傷ついた」と言う訴えも弱者真理教の攻撃パターンなので嫌いなのだ。

思想や論理を深めていく人間がいなくなって、脊髄反射の言葉がネットで垂れ流される世の中だから、人間が「劣化」せざるを得ない。
こうして社会全体が、「劣化」して、「脊髄反射」で語るのが普通になってきた。

この劣化言論と劣化行動を制御するのは大変だけど、嫌になる気分を奮い立たせて「王様は裸だ!」と言い続けねばならない。
かなり疲れる。