2019.08.09(金)
慰安婦像より、表現の自由の方が上位の価値である
慰安婦像が「気に入らぬ」ことにかけては、わしも負けていない。
あんなものが芸術と思い込んでるリベラル左翼のアホさ加減にはうんざりする。
アメリカのどこかの大学のマークが原爆をデザインしたものらしいが、あの原爆マークを芸術だと思えるのか?
原爆マークを誇りに思っているアメリカ人の頭上に、原爆を落としたいとわしは思っている。
慰安婦像も原爆マークも、わしは「気に入らぬ」。
だがわしは慰安婦像を展示するか否かよりも、もっと貴重な価値として「表現の自由」を守りたい。
ただでさえ「人権イデオロギー」の前に、言葉や表現の自主規制がどんどん進んでいく中で、「表現の自由」は委縮する一方である。
「表現の不自由展」というなら、なぜ今現在の表現者の自主規制を展示しないのだ?
リベラル左翼はナショナリズムが表現を圧殺したときは、怒るのだが、人権イデオロギーが表現を委縮させる現状には目を瞑る。
全くの二枚舌である。