真剣でありながら遊びという感覚
昨夜は生放送「オドレら正気か?」の終わりがけに、わしが地震の話を始めた直後に新潟で震度6強の地震が起こり、途端に自粛モードに入って番組を終わらせたが、新潟方面には津波も来ず、思ったより死傷者も少ないようで少し安堵。
自粛モードは難しいね。
被害の程度によって自粛のレベルを考慮しなければならないのか、悩むところだ。
生放送の内容自体はやけに面白かった。
年金デモを自分が責められているのかと思っていた泉美さんの感覚も常人ではないし、某人物の研究会のルポは特に考えさせられるものだった。
日本を商売の糧にする、皇室を商売の糧にする、日本や皇室に誇りを持たせて宗教に利用するという手法にはよっぽど警戒しなければならない。
結局、個の弱い者はどんなカルトにだって嵌る可能性はあるのだし、男系Y染色体を、天皇本人より崇拝する人間だって多いのだ。
集団を「宗教」にするなら個の弱い者をターゲットにした方がいい。
その方が人数があつまるし、寄付金だって集まる。
新興宗教団体がやたら資金潤沢なのは、個のない者を集めるからであり、個の弱い人間の方が多いのだ。
それが現実だと認識した方がいい。
「ゴー宣道場」との類似性と相違性を考えておいた方がいい。
もちろん「ゴー宣道場」は寄付なんか求めないし、「個の連帯」であり、個を集に埋没させることがないように連帯していかなければならない。
例えば現在、関西方面は設営隊長が主体的に改革を断行し始めている。何かに感づいたのだろう。
上意下達ではなく、個人個人が勝手にやり始めるのが良いことで、むしろわしが引きずられていくくらいが良いのかもしれない。
彼らの変化を見ていると、7月7日が楽しみになってきた。
頭数を揃えても弱い個ばかりでは意味がない。
ひたすら観客に徹する者たちの中にも実は強い個を持つ者はいるし、わしを直接手伝ってくれる者が特権意識を持つことのないよう心掛けていなければ、いつか足をすくわれる。
目的・野望をはっきりさせることが一番重要なので、それを説明していかねばならないし、もう一方に「遊び」と思える余裕も持っておかねばならない。