2019.05.29(水)
「偏見」持って警戒する
川崎の無差別殺傷事件について、どこに怒りをぶつければいいのかも分からず、防ぎようがないただただ悲惨な事件というしかない。
子供が外で行動してたら、必ず見守らなければならないとしたら、子供監視国家になる。
ただ一つ思いつくのは、「偏見」の重要さである。
近所に危ない奴がいる、異常な雰囲気の奴がいる、なんか恐い奴がいる、孤独で絶望してそうだ、そんな奴がいたら、近所の大人たちが常に警戒しておくか、警察に届けて巡回訪問してもらうべきじゃなかろうか?
「偏見」も社会秩序を守る一つの有効な手段ではないか?
共同体が壊れても、きちんと挨拶ができないとか、ちょっとしたことで怒鳴り込んでくるとか、そういう奴には「偏見」を持って、近所で噂しあい、警戒しておくことが必要だろう。
子供に近寄らせないように見張っておく必要がある。
それは差別に繋がるとか、リベラルぶって言う奴は、孤独な絶望者と大いに関わりをもって、社会を恨まないように交際していてほしい。
そんなリベラルなら敬意を表する。