こんな『風立ちぬ』好き?
毎日新聞8月21日東京夕刊の記事で、『風立ちぬ』を 宇野常寛だけでなく、
東浩紀も中森明夫も藤原帰一も、サヨク知識人はほとんど評価してない
ということを知って、軽く衝撃を受けた。
こうもわかりやすいサヨク式の反応が続出するとは!
『風立ちぬ』という映画は、ちゃんと反戦的な気分は描かれてると思ったのに、
それでも主人公が葛藤してないから共感できないと言う。
彼らにとって、ゼロ戦を作るということは、絶対的悪であり、
苦悩・逡巡・葛藤を伴わなければならない忌まわしい行為らしい。
恐るべき自虐史観だ!
わしに言わせれば、主人公がゼロ戦を作る苦悩を饒舌に説明したりしていたら、
クソ映画になったに違いない。
世間からは右翼とか保守とか思われてるわしが、
反戦メッセージもさりげなく入っているあの映画を評価してるのに、
サヨク知識人にとってはそれでも足らないと言う。
多分、主人公がこう言えば良かったのだろう。
「ゼロ戦なんか作りたくないんじゃあああ。」
「でも飛行機が好きだから仕方がないんじゃあああ。」
「でもこれってしょせん人殺しの武器じゃろがあああ。」
「何やってるんだ俺はあああ。」
「でも作っちゃうのよね、好きだからあああ。」
「地獄に落ちても仕方がねえっすううう。」
「特攻隊のみなさん、ごめんなちゃいいい。」
「作らなければ良かった、作らなければ良かったあああ。」
「戦争には使えない平和な飛行機を作ればよかったあああ。」
「でもどこの会社がそんなもの作らせてくれるのおおお。」
「戦闘機を作るしかなかったのよおおお。」
「いっそ自分の才能を放棄すれば良かったのかしらあああ。」
「ゼロ戦作るくらいなら、おのれの才能を封じるべきだったのかなあああ。」
「平和な時代に生まれてくれば良かったあああ。」
「たまたま戦争の時代に生まれたから、
戦後のサヨクから白い目で見られるううう。」
「悪人扱いかよおおお。」
「ふざけるんじゃねえぜえええ。」
こんな『風立ちぬ』好き?