杉田水脈か、井戸まさえか?
杉田水脈という国会議員は、「準男性」であり、「名誉男性」なのであるから、男に媚びる発言しかしない。
「名誉男性」が好きな安倍政権や自称保守ネトウヨが支持しているのだろうが、まだまだ日本は「野蛮」が残る国だと思う。
わしは井戸まさえという立憲民主党の元議員が書いた記事としてブロゴスで読んだのだが、この人物にも、警戒が必要だ。
極右因習派に杉田水脈がいて、左翼フェミニズム派に井戸まさえがいる。
この二人は「因習」と「イデオロギー」の対極にいる人物に見える。
杉田は、伊藤詩織さんに対して「女として落ち度があった」とBBCドキュメントのインタビューで答えているらしいが、「男性の前でそれだけ飲んで、記憶をなくして」とまで発言しているのは大問題だ。
本来、酒に強い人でも、睡眠薬を飲まされたら意識不明にはなりますよ、そりゃ。
伊藤さんを信じるか、山口を信じるかは、「常識」の力が試されているのであって、バランス感覚を持つ「保守」か、あるいは単なる「因習の僕(しもべ)」かの分水嶺だろう。
保守を自称する者の中には、「因習の僕」が多すぎて、本物の「保守」の感覚を持つ者が圧倒的に少ない。
「社会に出てきて女性として働いているのであれば」と杉田は言うが、この発言は重要である。
左派・エセリベラルの者にとっては、「家庭」は社会ではないと考えており、牢獄のようなものと捉えている。
右派・エセ保守の者にとっては、女は「家庭」を守るのが本来の仕事であって、社会に出てくるものではないと考えている。
だから、右派・エセ保守は、「男女雇用機会均等法」が嫌いだ。
だが、わしは「男女雇用機会均等法」を、因習を打破する法として肯定的に評価する。
けれども、左派とも右派とも違うのは、そもそもわしは、「家庭も社会である」と考えている点だ。
専業主婦だろうと、外で働こうと、社会に関わっている点は同じであって、専業主婦が「専業主夫」であっても、構わないのだ。
夫婦の片方だけの収入が、家庭を支えられるほどの額があれば、夫か妻のどっちかが家庭を守る役目でもいいではないか。
実質賃金が下がり続け、非正規雇用が増えて、社会保障が頼りない状況では、共働きでなければ、家庭を守れないという最近の事情がある。
高度経済成長の時代とは全く違ってしまっているのだ。
例え経済面の不安がなくても、女性も外で働きたいという希望もあるだろうし、それを叶えるのは悪いことではない。
そのくらい自由がある社会の方が健全であって、高度経済成長の時代の家庭像が日本の伝統ではないのだ。
杉田水脈らエセ保守は高度経済成長の時代の価値観を伝統と勘違いしている。
わしは「個人」として顔を出し、詳細に証言した伊藤詩織さんと、その周囲の証言者を信じている。
右派・因習でも、左派・フェミ・イデオロギーでもなく、「保守のバランス感覚」として、わしは、伊藤さんは嘘をついてないと直感する。
ちなみに杉田水脈の「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」という考えは、もはや意味が分からない。
少なくとも、今よりは日本は男女平等になっていい、いや、ならなければ、国が亡びると、わしは思っている。
杉田水脈は愛国者ではないと、わしは判断している。