2018.06.18(月)
偽装リベラルと偽装保守の二項対立と戦う
先週はライジングで、美人コンテストから水着審査が廃止される事態について書いたが、多くの反響があった。
#Metoo運動とセクハラ糾弾キャンペーンの行方が、水着審査の廃止とか、「5秒以上は見つめてはならない」とか「一度デートに誘って断られたら、二度と誘ってはいけない」というような、人のコミュニケーションを破壊する規則にまで繋がっていきそうな気配になってきた。
文化を破壊する状況をもたらすのは、フェミニズムが左翼イデオロギーの側面を強く持つからである。
左翼イデオロギーとは頭の中で考えた「設計主義」を現実に実現してしまおうとする、急進的かつヒステリックな危険思想のことである。
彼らは最近、左翼と自覚せずに「リベラル」という英語で偽装して発言・活動する。
リベラルという英語で「自由・寛容」かと思って油断してはいけない。
ものすごく狭量で、原理主義的な左翼イデオロギーが、リベラルの仮面を被って進撃している。
イデオロギーの臭いを感じたら、即、批判を始めねば、この大衆化社会では、燎原の火のごとく、あっという間に、手遅れになるほど燃え広がってしまう。
アメリカを見るがいい。
リベラルを偽装する左翼フェミニズムが、味噌も糞も一緒のデタラメさで、もう手をつけられない流れになっている。
この反動で、トランプ大統領を支持する差別主義者が勢いを増してくるのだ。
日本でも似たような現象が起こっていて、リベラルを偽装する左翼と、保守を偽装する極右の二項対立がやたら目立つようになってきた。
わしはこの両極のバランスをとるために、「保守」の何たるかを行動で示していかねばならない。
これは結構しんどいのだが、脳が老化すると瞬時の対応が難しくなるだろうと、最近つくづく感じる。
自分の脳を若く保たねばならない。