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2018.05.12(土)

「セクハラ鈍感発言」ばかりではない

 

朝日新聞に「セクハラ鈍感発言やまず」という記事があった。
太田房江参院議員は「受け取る人がセクハラだと思ったらセクハラ。それも知らないなんて」と言っている。
こんな無茶苦茶な判断基準が許されるのか?
「キスしていい?」という言葉をブ男が言ったらセクハラ、イケメンが言ったらセクハラでないということになる。
強引にキスするのも、イケメンならOK、ブ男ならセクハラ。
受け取る人次第だそうだ。 

加藤寛治衆院議員が「結婚しなければ子供が生まれない。人様の子供の税金で老人ホームに行くことになる」という発言。
これはおかしい。
わしは過去にいっぱい税金払ったし、年金も払っているが、子供がいないから、老人ホームに入れないことになる。

だが太田房江が、加藤が「3人以上の子どもを産み育てて」という発言に、悲しみがこみ上げたと被害者ぶるのは変だ。
わしは子供がいないが、全然傷つかない。
宿命は宿命として受け入れているだけだからだ。
子供が欲しけりゃ養子をもらえばいいだけだ。 

麻生太郎が「セクハラ罪という罪名はない」と言ったのは、刑法上の罪には問えないと言っただけで、間違っていない。
野田佳彦氏が「罪名はないけど、社会的には嫌がらせはいけない、人権侵害はいけない」と言ったのは分からなくもないが、麻生氏のような昭和の爺さんのしゃべりっぷりは貴重だとわしは思っている。
「多様な価値観を認める社会」と言いながら、昭和初期的価値観を今すぐなくせとは言うもんじゃない。
麻生太郎、頑張れと、むしろわしは言いたい。 

矢野康治・財務省官房長には同情する。
被害者がいるのかどうかも分からず、被害者の言い分も聞かないで、第三者の代弁のみでセクハラ認定して、辞職させることが、本当に正しいことなのか、大いに疑問だ。
被害者の直接の言い分を聞きたいと言えば、「二次被害」とか、「さらに傷つく」と第三者が言ってるが、たかが「セクハラ発言」(触られてもいない)で、それほど傷つくという言い分も承服できない。
「セクハラ発言をされた」ということは、キスされたり、レイプされたりすることよりも傷つくことなのか?
大人の女性にしては、あまりにナイーブ過ぎないか?
しかも、ジャーナリストだぞ!
矢野康治氏の感覚は「常識」だろう。
「クソ野郎」みたいに報じられることの方が人権侵害だ。 

下村博文の「隠しテープを週刊誌に売ったのが犯罪」という発言は、「犯罪」と言ったのが失敗で、「犯罪的」と言ったのなら否定できない。
取材倫理に反するのではないかという議論はあるのだから。 

長尾敬衆院議員の、「(Me too運動のマネする女性議員に対して)私にとって、セクハラとは縁遠い方々です」という発言は、国会議員が公の場で言ってはならない揶揄だろう。
だが、漫画家や一般庶民なら、許されなければならない。
心に浮かんだ本音を言ってしまったら、圧迫がかかるようなら、全体主義である。

谷口真由美准教授の言い分は国際社会の「建て前」をイデオロギー化してるだけで、わしは承服しない。

このように人や状況により、細かい判定が必要なはずだが、今は「セクハラ糾弾全体主義」が覆ってしまった。
こんなマスコミが戦前、軍部を讃美する言論一色にして、国民を破滅に導いたのである。
戦前を反省する良識ある国民なら、今こそマスコミに反旗を翻すべきである。

女性も「か弱い被害者ぶりっ子」ばかりじゃない。
どういうわけだか、わしの周囲には「個」の強い女ばかりである。
そういう女性はマスコミの全体主義を破る危険人物だから、公共の場で発言できない。
来週水曜16日の、笹幸恵さん、泉美木蘭さんと本音を語る生放送が楽しみだ。