今朝の東京新聞の「ロボット天皇論」について
今朝の東京新聞が2019年の5月1日に譲位を国事行為で行うことに異議を唱えている。
自称保守派が「剣璽等承継の議」を行うことを想定しているという。
「皇位は神器とともにあり、皇位の空白を招くのはよくない」と考えるのは、立憲君主制だから当然だとは思う。
東京新聞の吉原記者は、天皇から皇太子へ剣璽を直接手渡せば、「自らの意思で皇位を譲る」と解釈され、憲法に抵触すると言う。
典型的な「ロボット天皇論」である。
わしの『新・堕落論』の「オーディエンスかロボット天皇か」を読んで欲しい。
本来、譲位に当たって、総理が「オーディエンス=謁見」で天皇陛下の意思を確認し、国民の象徴である天皇と、国民の代表である総理の間で、合意を交わして、譲位を行えば良かったはずなのだ。
そのためにはまず、「ロボット天皇論」の病を克服する必要がある。
今のように自称保守派が「ロボット天皇論」を妄信し、天皇陛下の意思を無視して、むしろ叛逆している状態が立憲君主制の異常事態なのだ。
自称保守派の、天皇陛下を「ロボット天皇」として無視しているくせに、「天皇制度」だけは復古的に守ろうとする倒錯した観念が、「堕落」なのだ。
まさに戦前の「君側の奸」である軍部と、今の自称保守が同じ感覚で、制度のみを政治利用しようとするペテンである。
一方で、東京新聞ら左翼も、自称保守派と同様の芦部学説「ロボット天皇論」を奉じている状態だから、嗤うしかない。
「天皇は国民という大海に浮かぶ船」という国体の肝を、自称保守も左翼も分かっていないのが、戦前から戦後に通じる「堕落」という他ない。
天皇制ひとつとっても、戦前も堕落していたし、戦後も堕落している。
明治時代に「復古」と言っても、明治から堕落していたというのが、わしの『新・堕落論』の説なのだが、読みとれる者がいないのでは仕方がない。