正月の朝ナマに出なくて良かった
正月の朝ナマにはやっぱりウーマン村本が出たらしい。
最近、漫才でたった一回、政治風刺をやったからといって馬鹿みたいに持ち上げられていたから疑問だった。
わしは、村本は単なる「無知による反戦平和主義」だと見抜いていたから、評価していない。
案の定、「非武装中立」論者であり、他国に侵略されたら「白旗上げて降参」するそうだ。
他国に侵略されて占領されてもいいと言う者と議論する意味なんかない。
どんな地獄が待っているか、想像力がまったくないのだろう。
尖閣諸島は中国に「取られてもいい」そうで、敵兵と殺すか殺されるかの状況になったら、「殺されます」と答えたという。
沖縄も「元々中国から取ったんでしょ」などと、中国寄りのデマを言っている。
琉球王国は薩摩と支那の両方に朝貢していたが、支那に属していたわけではない。
憲法9条も読んだことないそうで、知識は小学生以下だろう。
村本が国民の代表と思っているなら、田原総一朗も朝ナマのプロデューサーも国民を馬鹿にしている。
かつて朝ナマに出ていた野坂昭如も竹やりで戦うなどと言っていたことがあったが、冷戦時代はそんな戯言も通用した。
今はそんなくだらん議論をしている時代ではないだろう。
ガンジーの非暴力主義なら「個人的な哲学」としてあり得るが、あれは英国に植民地支配されている状況下の抵抗運動であり、今の日本国が侵略されない保証などないのに、非暴力主義で国民を地獄に道連れするわけにはいかない。
愛する人が敵兵に強姦され、惨殺される光景を見ても、戦わない人間なんかクズである!
村本は中高生でもないし、若者でもない、無知なおっさんだ。
無知は罪でもある。
わし自身を振り返りつつ言うが、無知は常に恥じて勉強し続けなければならない。
無知に開き直って、これが国民の知的水準だと抗弁するのは、国民に対して失礼である。
同じ反戦平和サヨクでも、例えば室井佑月なら、わしは認めるのだ。あれは国民の多くの人々を代表していると思う。
室井氏ならわしは国民の一部と対話している気になれる。
室井氏は真剣に国を憂いている。知的誠実さもある。
ウーマン村本は知的誠実さがまるでない。
朝ナマは、今後はウーマン村本を中心に議論をすればいい。
わしは行き過ぎた平等主義は嫌いだ。
表明すべき意見や、発見のある議論はあると思うが、議論の価値もない意見が確かにある。
時間の無駄づかいはしたくない。
わしはウーマン村本と一緒に出演することはない。