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2013.10.10(木)

わしは宮崎駿のアニメを全肯定しない

 

わしは宮崎駿のアニメを、そんなに本気で見たことはない。

子供向けのトトロやポニョなんか関心ないし、魔女の宅急便は見たことない。

ナウシカは少し面白いと思ったが、洋画でこんなのあったような気がすると
思ったくらい。

切通理作氏がサブカル評論の一貫で、「国民的」とも言えるようになった宮崎アニメを
分析するのはわかるのだが、高森明勅氏が以前から宮崎アニメを好きだったのが
不思議だった。

分かるような気もするのだが、今回はその理由をもっと聞いてみたい。

 

わしは宮崎アニメに関しては、これまであえて評価しないようにしていた。

わしのような異形・異端のキャラを提示する漫画家から言えば、
あの健全な「国民的」作風は本気で嵌るものではない。

わしはどうしても「国民的」なキャラクターや作品を創れないので、
そういう意味であの健全さを創作できる能力は羨ましいとすら思える。

わしの創作物は必ず嫌われるし、憎まれるし、万人に愛されるものは創れない。

 

わしははっきり言って、宮崎駿よりも手塚治虫の方が好きだ。

絵柄から言えば、丸っこい描線が、どちらも似てるような気がするが、
明確な意思による毒は手塚作品の方が込められていると思う。

変態度も手塚の方が上だと思うが、どういうわけか死後、
手塚は健全な作家として 国民化される風潮が続いてきた。

 

まあ、作品としては健全に見られているようだが、作家個人の変態度から言えば、
宮崎駿も相当なものだろう。

現憲法擁護や、脱原発の一人デモや、わしは期待してないのだが、
『永遠の0』へのヒステリックな口撃を見てると、面倒な人格だなと思う。

宮崎駿の狡さは、右にも左にも誤解させるその曖昧な表現にあって、
今回の『風立ちぬ』でついに その曖昧な矛盾が、極限まで達した感がある。

 

実を言うとわしは『風立ちぬ』に関してはもっとシビアな見方をしているのだが、
批判するにせよ、宇野氏ら戦後サヨク・リベラル風の自虐史観は低級だと思っている。

だがわしが「戦前は悪」の見方を否定したせいか、
わしの読者はみんな『風立ちぬ』全肯定状態になってしまって、逆にその同調圧力で、
わしが本心を言えなくなってしまったような気がする。

13日・日曜の「ゴー宣道場」では、みなさんの様子を伺いながら、
ちょびちょびっと本音を出して行こうかなと思っている。

別に映画の見方に正解なんかあるわけないから、異論があるなら言ってくれ。

 

っておくが、『風立ちぬ』の擁護のための道場なんか、やりたくない。