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2017.08.31(木)

公と私は真反対が正常

 

最近、「ゴー宣道場」の門弟から、わしが私的に男尊女卑なのに、公的に男女平等を訴えても説得力がないのでは?という意見が出されたが、これは基本的に「私」と「公」は真反対の位置にあり、「電車内で化粧するのは公私混同」という例で分かり切ったこと。
わしの読者で「公私混同させろ」と言うのは読解力がない。 

「私と公を一致させろ」とまで言うのは共謀罪の論理と同じで、私的に危険なことを考えてもいけないというファシズムの論理。わしが戦うべき論理だ。

公に影響のないプライベートな部分で、何を考え、何をしていようと勝手だろう。
ただしそれで私的な領域が壊れるかもしれない。
私的領域が壊れてもいい、壊れない自信があるのなら、好きにやればいい。

「公私」の問題で、作家・表現者の狂気を語るのは一つの真理であり、確かにわしも狂気を隠し持っているだろう。
だが、小林よしのりが男尊女卑か否かの方が、普遍性のある議論だと言える。
わしの妻は、わしが冷蔵庫を開けても怒るので、ゴミ出しなんかやってたら離婚される。
これは妻の方が男尊女卑なのか? 

秘書みなぼんは、子供の頃から父親が食卓につかなければ、家族の食事は始まらなかったし、父親のおかずは一品か二品、多かったという。
わしの家庭もそうだった。
男女平等と言うなら、少なくとも夫と妻のおかずは同じ数にしなければならない。
夫の方が多いから、これを男尊女卑と言うのか?
わしは妻が夫を立てる立派な家庭だと思う。 

完全男女平等を唱えるフェミニストは、一体どんな家庭に育ち、どんな男と交際してきたのか?
男女間が、まったく「平ら」で「等しい」世界、性差がない世界など永遠に実現できない。
まず女が堂々と股間を開いて、男座りをすることから実践してもらいたい。ミニスカートは穿けなくなる。

わしが公的に(男女平等)と言うより、「男女公平」を主張するのは、現状の危機感を基にして、国家の永続を保守するためのリベラルである。
「おまえが産め」とか「男を産め」とか「男系にしろ」とか、公的領域で言うのは亡国の徒であり、せいぜい私的領域で言って、妻に離婚されてしまえと言っているのだ。
公私混同の馬鹿オヤジ、あるいは論壇ホステスは、保守ではない!