三浦瑠麗「共謀罪」肯定の詭弁
三浦瑠麗が、8月12日の東京新聞で、「共謀罪」法の成立などによって「今の社会に、戦前のかおりがしないか」という問いを全面否定している。
三浦瑠麗は、「大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)-四五年のせいぜい二年間ほどでした」と言い切っているが、わしはこの無知にあきれ果てた。
三浦瑠麗は、小林多喜二が治安維持法違反の容疑で逮捕され、特高警察の拷問によって惨殺されたのが1933年(昭和8)だったことも知らないのか!?
治安維持法は1925年(大正14)に制定された。
当初は革命をめざす共産主義者やアナキストが対象であり、一般の人には関係ないと言われていた。
しかし恣意的に対象はどんどん広げられ、革命を目指していたわけでもない小林多喜二までが逮捕され、殺されたのである。
「共謀罪」法が、いまは対象者が「組織犯罪に関わり得る人間」や、確率的に低いが「テロリスト」だけであり、一般の人には無関係と説明されるが、いつ歯止めのない拡大解釈が起こるか分からないというのが、歴史に学んだ真っ当な感覚だ。
「共謀罪」法が治安維持法に似ているという意見を「誤った分析」と言い切る三浦瑠麗は、歴史を全く知らないとしか言いようがない。
さらに三浦は、戦前のような拷問や弾圧が起こることはないとも保証する。その根拠は、「警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が効いて」いるからだという。
なぜそこまで、警察官を手放しで信用できるのだろう!?
つい最近だって、警視庁高井戸署の警察官が、万引きの容疑をかけられた中学生に「発言次第じゃお前の首を取るぞ。てめえ高校なんか行かせねぇぞコラ」などと脅しまくっていたことが問題になったばかりじゃないか。
何の力もない中学生に(しかも冤罪だった)、平気でこんな恫喝ができる警察官はいるのである。自白を迫るこの恫喝自体が拷問だと言ってもいい。
岐阜県大垣署の警察官は、風力発電施設建設に反対する住民らの個人情報を、中部電力の子会社に漏洩するという不祥事を起こしている。中には、反対運動にほとんど無関係の住民の情報まで含まれていたという。
こんな警察官に「共謀罪」という武器を与えれば、そのうち起こる冤罪事件を予期せぬわけにはいかない。
三浦瑠麗は、新聞も読んでいないのだろうか?
要するに三浦瑠麗は、歴史も知らず、現代社会も知らない、過去も知らなければ現在も知らない、そして想像力もない、尊大なエリート主義者にすぎないのである。
「リベラル」を自称していたから、ずっと騙されていた。結局、安倍政権の擁護者だったと気づき、権力の側に付き、権力のやることを「詭弁を弄してでも正当化する」言論人だと気づいた。
「美人」と「リベラル」、この二枚看板に騙されていた己を恥じる。