2017.04.27(木)
共謀罪の危険は取り調べの可視化では防げない
明日は金曜日だ。
その深夜、日が変わった土曜の深夜から「朝まで生テレビ」がある。
したがって今夜は遅くまで起きてないとダメだ。
なのにもう眠い。
共謀罪に反対するジャーナリストの記者会見に出て、昼めし食って帰宅したらもう5時過ぎていた。
それから『よしりん辻説法』のペン入れを始めたが、集中して描けない。
さっぱり進まない。
先ほど「報道ステーション」に記者会見の模様が映っていた。
あの会場に、番組の小川アナウンサーが来ていた。
やっぱり綺麗な人だった。
維新の会は「取り調べの可視化」を受け入れれば共謀罪に賛成するようだ。
オウム真理教だって、初めから「組織的犯罪集団」だったわけではない。
一部が変容したことを、どうやって知り、どうやって共謀罪を適用するのか?
まあ、国内でオウムのようなテロ組織はもう作れる状況にはない。
あれは「信教の自由」という憲法が保障した宗教の過保護が原因で、育ったテロ集団だった。
公明党が共謀罪に賛成するのも、まったく変だ。
権力と戦う組織の代表が「天誅」と宣言すれば、組織が変容したと見做すことだって可能だ。
その「内心」を探るために盗聴が始まってしまうかもしれない。
さらに、そのための「計画」を立て、「準備行為」に向かっている段階で、家宅捜索が行われたら、わしの家にはオウム対策でナイフや警棒やスプレーなどの武器がいっぱいある。
そこで3要件が揃って逮捕されるじゃないか。
取り調べの可視化なんて、逮捕されたあとの苦痛と、冤罪の不愉快さと、社会の偏見には対処できない。
そう考えたら、二度と「天誅」なんて言葉は使わない。
言論が委縮するということだ。