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2017.04.05(水)

教育勅語は自称保守には相応しくない

 

まったく不思議である。

教育勅語に「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶養すべし」という文章があり、左翼リベラルはこの点を一番問題にする。

わしはこの部分を特段、危険とも思っていないが、では、右派・自称保守が、この部分を守る気があるかと言えば、現に守ってない。

側室なき男系主義では皇統が絶えるという事態は「一旦緩急あれば」に匹敵するはずだが、彼らは自らの「義勇」「公」(天皇)に奉じているだろうか?
全然奉じていない。 

右派は、むしろ「公」(天皇)に叛逆している!

わしは己の義勇を天皇に奉じている。
そして「天壌無窮の皇運を扶養」すべく戦っている。 

だが、男系固執の右派連中は、「天壌無窮の皇運を」絶やそうとしている。
もし、男系に固執することが「天壌無窮の皇運を扶養」することだと信じるなら、旧宮家系・国民男子を発見して、記者会見するはずである。
そのための皇室典範改正を唱えるはずである。
だが、彼らは何もしない。 

実は右派は、教育勅語を守りたいとも思っていない。
戦前の風習を守ることが保守だと、大きな大きな勘違いをしているだけなのだ。
実にバカバカしい。 

右派・自称保守の中の何人が教育勅語を暗唱しているか?
彼らは教育勅語を暗唱する気もなければ、守る気もない。
そもそも道徳を守りたいなら、「アッキード事件」の不道徳に目をつぶるはずがない。
権力は何をやっても許される、説明責任を果たさず、資料を隠していれば、必ず事件は風化する、そういう不道徳を啓蒙しているのが、右派・自称保守の連中なのだ。
教育勅語は彼らには全然ふさわしくないのである。