反戦番組よりオリンピック
終戦記念日ということを忘れてしまうほど、今年は
反戦番組が少ない。
この日が近づくにつれ、例年なら、反戦ドラマ、反戦映画、
反戦ドキュメント、反戦報道、反戦特別番組がどんどん
増えてきて、吐き気をもよおすのが常だったが、
今年はそれがほとんどない。
変だなと思っていたら、なんのことはない、国と国が
威信を賭けて激突するオリンピック報道で一色だからだ。
テレビはわざわざリオまで行って、国家VS国家の戦いを
報道するのに夢中で、反戦平和番組を作る暇など
なかったらしい。
今年は反戦よりも、国と国とのナショナリズムを賭けた戦い、
オリンピックという「戦争の代替行為」に、マスコミも国民も
夢中になっているのである。
この好戦的な現象を批判する反戦平和左翼の声も
聞かない。
昔は、オリンピックは国と国の争いではない、選手は
国のために戦っているのではない、個人のためだ、
個人的に楽しめばいいのだ、外国の選手にもスポットライト
を当てろ、参加することに意義があるのだ、なんてことを
毎年主張する左翼がいたはずなのに、今年は全然
見かけない。
日本はいくつ金をとった?戦果を報告しろ!
メダルラッシュ!メダルラッシュ!
日本が金銀銅を独占すればするほど、北朝鮮では
負けた選手が処刑されるかもしれないから、いい気味だ。
しかし世の中って変わるもんだね。
え?これもわしが『戦争論』を描いたせいか?
ナショナリズムが復活したのは、小林よしのりのせいだと、
シールズが言ってたからな。
そのシールズも、結局、何の成果も残さずに解散らしい。
肝心の若者からも、左翼だと後ろ指を指されて。
え?それもわしのせいか?
「日本会議」というベストセラーになった新書の中には、
功労者みたいなあつかいで、わしの名が出てくる。
冗談じゃないよ。日本会議は反天皇の逆賊なのに。
なんでもかんでも小林よしのりのせいって、過大評価
でしょうよ。