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2016.07.06(水)

対談する相手には敬意が要る

 

まだ決定ではないから名前は明かせないが、
権威ある学者と対談する企画が進んでいる。
わしが生徒として講義を受けたいくらいの学者だ。 

対談は相手の人物に興味がなければ受けたりしない。
それは当たり前のことだ。暇人じゃないのだ。
ましてや、尊敬できない行動をしている人物と、対談する
時間なんか一分だってもったいない。 

わしは本来、家に閉じこもってずっと作品を描いていたい
創作者なのだ。
だから対談や討論は「ゴー宣道場」の時間だけにしたい。 

だが、それ以外の場所で対談するとしたら、やっぱり
興味ある人物とだけだ。
例えばケント・ギルバート氏と先日対談したが、彼が間違った
運動をしていることは知っている。
「放送法を盾に報道を委縮させる会」に名を連ねている。
それは許せないことだ。
だから対談したらそこをとことん批判した。 

悪いことをしていると知っていて、それでもケント氏と対談した
のは、「日本の自主防衛」を支持するアメリカ人だからだ。
これは貴重だから対談した。
それともう一点、ケント氏には「愛嬌」がある。
人間的な魅力があるから、改心させたいと思うのだ。
たまたま悪に染まっているが、彼の本意ではないと思う。 

わしが一番嫌いなのは、権力の提灯持ちだ。
ただでさえ強力な権力に媚びを売って、提灯持ちで
食っていく人物を、わしは認めない。
「個人」ゼロの人物と対談して何になる?時間の無駄だ。 

人にはそれぞれ行動の規範がある。
わしにはわしの価値観がある。
例えばわしが罵詈雑言を投げつけて批判する知識人だって、
実は彼の著作を読み、うなずける部分を感じていたりする。
そういう相手とはいずれ雪解けが来る。
共に一時代を言論戦で戦った相手には、時代の変化と共に、
共感する立場になったりもする。
例えば宮台真司だ。
彼の共同体崩壊論は正しかった。
家族ですら崩壊して、介護殺人が続々発生する時代に
なった。
あの時はここまで来るとは思わなかった。 

言論人とのバトルには互いに敬意を払う何かを感じて
いなければ、会って話をするまでの動機付けが発生しない。
プロにはプロの矜持がある。
一般人には絶対分からない世界だ。