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2016.05.28(土)

贅沢とケチの問題

 

ハワイで二つのホテルに泊まったのだが、部屋が
気に入らずにグレードアップさせて移動したりしていた。
わしの部屋は広々していて、トイレが二つあって、
ベランダも広くて景色がいい。 

隣りの部屋に白人の老夫婦が宿泊していたが、その
ベランダの狭さから、部屋も狭いであろうことは容易に
想像がつく。
老夫婦がその狭いベランダに出てきて本を読んでいた。
その様子はわしの部屋から丸見えである。
ちょっとした優越感を感じながら、彼らを配慮して、
窓を半分閉めてやっていた。
どうぞ我々の視線を気にせず楽しんでくださいという
配慮である。 

そんな立派な部屋に泊まっていたら、一泊何十万円も
するわけで、贅沢だと妻は文句を言う。
だが、ケチケチしていてもしょうがない。
最近は格差社会と戦うための方法論として自らを
「富裕層」と言うことにしているが、実際は近年の収入は
大したことはない。 

だが、ケチになるのは自分の才能を見限った時だ。
自分の才能がますます強化していると実感していながら、
ケチになってもしょうがない。 

創造の源泉は快楽である。
快楽を我慢して創造は絶対に出来ない。
わしは自分の周囲を快楽で満たしたい。
不快なものはいらない。
我慢しながら創造することは出来ない。 

おカネは必ず稼ぐ。自分の仕事に打ち込めば必ず
稼ぐことになってしまう。
だがわしの人生は、たかがカネなどが目的ではない。
創造力が本当に衰えたら、ケチになればいい。 

舛添都知事を見ていたら、自分の能力のみで稼げないと
確信している男の惨めさがいやというほど噴出している。
自分の力のみで稼げない男が、勘違いして贅沢を覚える
のは危険だ。
他人のカネをどう使うかしか考えなくなる。
人間が卑しくなる。 

身の丈に合った贅沢をしなければならない。
「分限」というものが大事なのだ。
わしもそのうち才能が枯渇したら、「分限」を知って、
ケチになろう。
だが今はそのときじゃない。
創造のために快楽だけを求めるのみである。 

一般庶民とは考え方がかけ離れているかもしれない。
しかし、わしはそれでやってきて60歳代だから、もう
方法論の正しさが証明されたようなものだ。
岡本太郎やピカソに比べたら、はるかにわしの方が
常識人で庶民感覚を知っているだろう。
創造者としては、もっと非常識になるべきだろうが、
そこは父の影響もあって意外に堅実だったりするから、
自分が腹立たしい。