30代のわしと60代のわしの真剣勝負
『おぼっちゃまくん』の描きおろしに反対する人がいます。
描きおろし単行本では、小林よしのりファンだけしか買わない
「見えない化」が起こるから売り上げが増えないという意見です。
別の雑誌に連載して、新しいファンを獲得してから、
単行本化した方がいいとアドバイスしてくれます。
より多く売れてほしいという読者の思いからの意見だから、
ありがたいと思います。
しかし宮台氏は「見えない化」という新しい言葉を
生み出したのですね。
しかしそれはかつて「蛸壺化」と言ってたんですね。
小林よしのりファンも、自称保守論壇も、左翼リベラル論壇も
「蛸壺化」して、他の意見が「見えない化」するわけです。
実際今はそうなっているでしょう。
誰もが自分にとって不愉快な意見は聞かないと決め込んで
いるのです。
『ゴーマニズム宣言』が「思想・意見」を述べる漫画である限り、
似た考えの人が集結するのは仕方がないのでしょう。
わしはそれでも違う考えの人に読ませる力量を発揮しなければ
ならないのだと考えます。
「蛸壺化」するのは、自分自身がまだまだなのだと考えます。
その蛸壺をぶち破って、他者の蛸壺に手を突っ込んで、
掻き回すくらいの作品を描こうと常に思っています。
「売り上げ」が目標なのではなく、「作品の質」が目標であり、
結果として「売り上げ」がついてくるというのが、わしの
考え方であり、これは信念なので曲げられないのです。
うちのアシスタントも「売り上げ」にしか関心がないから、
わしが今度の作品はこういう意図のもとに描くのであり、
こういう意義があるのだと、いくら説明しても、聞こうと
しません。
「売り上げ」が良ければボーナスが増えるから喜ぶだけで、
作品の意義なんかどうでもいいのです。
けれども不思議なことに、わしの創作者としての考え方を
遠くにいながら理解してくれる熱心な読者もいますから、
わしは不動の自信をもっておれるのです。
わしは「売り上げ」を第一目標にする気はありません。
それから、ごーまんですが、今『おぼっちゃまくん』を
雑誌連載始めたら、またヒットするかもしれません。
新しい読者は増えるでしょうが、今度はやめられなく
なるのです。
今後10年は『おぼっちゃまくん』にわしの人生を費やして
後悔しないだろうか?
まだ描きたいものがあるんです。
『ゴーマニズム宣言』も描きたいし、『大東亜論』も描きたいし、
他の『おぼっちゃまくん』以外の創作漫画も描きたいのです。
それを考えると、描きおろし単行本が一番いいような
気がします。
月刊誌に連載したら一年かかる単行本が、描きおろしなら
半年で13本描いて出版することができます。
一冊出して、自分がノレるなと思ったら、二冊目を出せばいいし、
他の作品が描きたいと思ったら、『おぼっちゃまくん』は
中断ということにすればいいのです。
出版社に束縛される作家になりたくないのです。
「個人」として、創作意欲に忠実に描きたい。
それから雑誌連載となると「自主規制」の問題があります。
描けない表現がいっぱい出てくるのです。
初めから「大人も読めるギャグ漫画」として描きおろせば、
かなり痛烈な風刺も描けるでしょう。
幻冬舎なら文芸の出版社だから、その辺かなりの自由度が
あります。
もっと言っておきます。
小林よしのりファンというのは、大していないと思います。
『東大一直線』も『おぼっちゃまくん』も『ゴーマニズム宣言』も
読んでるファンなんてほとんどいないのです。
『おぼっちゃまくん』は大好きだが、『ゴーマニズム宣言』は
嫌いという人の数は圧倒的多数でしょう。
宇多田ヒカルも堂本剛もDAIGOも『おぼっちゃまくん』は
読んでても、『ゴーマニズム宣言』は読んでいないはすです。
逆に『ゴーマニズム宣言』は好きだが、『おぼっちゃまくん』は
興味がないという人も圧倒的多数です。
『おぼっちゃまくん』を単行本を買って読んだ人は一巻あたり
40万、50万といるでしょうが、アニメでしか知らないという人は
数百万人いるのです。
子供の時は単行本を買うお金を持たなかった子供が、
今は30代、40代の大人になって、中には子育てをしている人も
いるのです。
今なら子供と一緒に『おぼっちゃまくん』を読む余裕もあるの
ではないでしょうか?
果たして「見えない化」とか「蛸壺化」という現象が、
『おぼっちゃまくん』という漫画に通用するでしょうか?
そんな問題より、昔以上のパワフルな作品、昔以上の
ギャグ満載の作品、昔以上の時代風刺が出来るか否か?
「作品の質」が最も大切なことであり、わしの才能が
試されているだけです。
わしが満足いく作品を生み出せば、あとはどうでもいいとすら
言えます。
出版社が勝手に売ってくださいということです。
果たして30歳代のわしが勝つか、60歳代のわしが勝つか、
これは命を削る戦いなのです。
作品を創造するということは、自分自身への挑戦でしか
ないのです。
それが一番恐ろしいことです。