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2015.10.09(金)

「個」と「集」の戦いは40年経っても続く

 

学生たちが「個」を貫けと国会で演説していたが、
大人はよく
あれに腹を立てないなと思う。
「現場」を持たないガキのくせに、よく言えたもんだ。
実際、「生産の現場」を持って、つまり社会人として
働いてみると、
「集団」と「個」の間で葛藤することばかりだ。

現在も角川から新書を出すことになっているが、
そのタイトルの
センスが全然わしと折り合わない。
わしが付けたタイトルは一蹴され、例えば「わしの救国論」
なんて
付けてくるのだが、あまりに恥ずかしい。
「わしの」をタイルから入れたら、小林よしのりに
好意的な読者
しか買わなくなる。
内容でなく人物主体になる。
なおかつふざけている印象がある。
「わし個人の、手前勝手な」
という印象が強すぎる。

しかも「救国論」は内容と違いすぎる。
「救国」となると、国防はどうするか?国の目指すべき指標は?
経済はどうするか?教育はどうするか?エネルギー政策は?
等々、あらゆる分野に目を配らなければならない。
そういう総合的な国家論ではないのだから「救国」は変なのだ。 

もっと酷いのは「反米一直線」なんて案を出してくる。
無茶苦茶だ。イラク戦争当時は「親米ポチ」が大賛成してたから、
逆張りで「反米」を自称したが、わしの本意は外交主権を
アメリカに譲って恥とも思わない日本人を批判したいのであり、
アルカイダみたいな「反米」ではない。
アメリカへの距離感を適切に保つのは、日本人の問題である。
しかも日本人一般というのは、基本的に「親米」だから、
「反米一直線」なんてタイトルつけたら、売れるわけない。
「反中」や「反韓」は売れるが、「反米」なんて少なくとも
右派は誰も買わないだろう。 

「反米一直線」なんて、ものすごい偏りのある人間に見えるのだ。
わしの人生「反米」で貫くと決めてるわけじゃない。
ケントギルバードみたいな男と出会えば、わしは親米に
なるかも
しれない。
ただ、侵略戦争をする国だから、徹底的に警戒しろとは言うが。

わしのセンスには合わない妙に滑稽なタイトルを付けてくるが、
わしは必死で抵抗している。
本を売るのは出版社の営業部である。
売ってくれるのなら、わしの「個」を消すべきか?
「個」を貫いて、出版社の意欲を削ぐべきか?
「個」が貫きにくい事情は、社会に出て、「生産の現場」を
持つと、
いくらでも現れる。

たかが学生が「個」なんて持ってるはずがない。
わしのようなフリーで40年も食ってきたプロの漫画家でさえ、
今でも「個」を貫くか?「集」に妥協するか?という難問を
抱えている。
こんなことは今まで何百回もあった。
もっと厳しい「集」との戦いもあって、生き残ってきたのだ。 

親に食わせてもらってる身分で、よく「個」なんて言えたもんだ。
それをもてはやす大人たちはどうだ?
わしより「個」が強いか?
わしの前に出てきて、自分がいかに「個」を貫いて生きて
来たか
説明できる奴がいるのか?
ほとんどの大人が「現場」に入れば、「集」に埋没してしまうのだ。
会社に入った時点でもう「集」との格闘が始まる。
あの若者たちはほとんで全部、数年後、「集」に埋没する。
そんなことは大人なら誰でもわかることだろう。

わしは学生時代に、学生運動に誘われて、デモも
やったことがある。
だが、「個」がない自分を自覚して、誘いを断り、
朝から晩まで
自宅に閉じこもって、貧血になるまで
本を読んだ。
そして大学4年でデビューして、卒業と同時に連載を始めた。
円形脱毛症になりながら、2日間完全徹夜は当たり前という
生活を続け、体重47キロまで落としながら仕事して、
1年後にはヒットが確定、3年後にはマンションを3戸買った。
そこから先がまた谷底と天国の繰り返しで、「集」との戦いは
今も続いている。
あの大学時代の巌窟王のような孤独な時代がなければ、
今のわしは存在しないだろう。
若者を真綿でくるんで育てる母性ばかりの時代になった。
父権が喪失した日本で、果たして世界の独裁者と戦って
いけるだろうか?